メッセージ
|
||||||
戻る | ||||||
|
||||||
― 今、思うこと ― |
||||||
新型コロナウイルスの拡大がこのような事態に伸長するとは、私自身、二月の稽古を終えた段階では思ってもおりませんでした。しかし三月に入って早々に長期戦を覚悟するようになり、各クラスの稽古などの延期を決めました。併せて「四季折々の花の美を伝える」新人の方々のための講座の開始時期を、七月十一日に順延する事も決断しました。皆さまにはご不便をおかけすることとなりますが、何卒ご理解下さいますようにお願いする次第です。 こうした最中の彼岸の中日を前に、今秋十一月七日、八日両日に、京都大徳寺孤篷庵で催す、『花をたてる』刊行記念花会の道具合わせを行いました。 小堀遠州ゆかりの広大な寺内は格調高く、いつ伺っても塵ひとつない別天地です。当日も外界の現実を離れ、静謐で濃密な気配が漂う寺内で、粛々と道具の取り合わせを進め、花の構想を練り、至福の時を過ごしました。そして花会の無事を仏前に祈りました。 |
||||||
孤篷庵 「近江八景の庭」
|
||||||
その帰り道でした。烏丸通りを車で南下し、京都御所と通りを隔てて建つ旧有栖川宮邸に差し掛かった時、夕日に映える満開の見事な枝垂れ桜が目に飛び込んできました。その神々しいまでの美しさは、毎春この桜を見上げてきた私にも格別なものに映り、息をのみました。この僥倖は今の私には本当に有難く、桜の花から大きな漲る力をもらいました。 この三月は稽古が延期になったことから、毎春密かな楽しみとしている雪割一華や二輪草などの、大地を割って咲く足元の春をいけることなく終わっただけに、私だけでなく、皆さまもさぞ淋しいおもいをされた事でしょう。早春の小さな草花には神聖ないのちが宿っており、いけていると、いのちの再生と祝福を賜ったような気持ちになるから不思議です。今年は叶いませんでしたが、来春を愉しみにしましょう。 春は日一日と木々や草花が大きく動き出します。四月に入り桜が散り急ぐなか、木々は次々と芽吹き、新緑の季節へと向っていきます。庭のあじさいも日を追うごとに葉を繁らせ、緑の色も濃くなってきました。あじさいの花が咲く頃には皆さまのお顔が見られると嬉しいのですがと、毎日生長を見守りながら、再開の日を待っています。 四月三日の朝日新聞に掲載された、生物学者の福岡伸一さんの「動的平衡」と題された、ウイルスという存在についての寄稿に目が止まりました。非常時ではありますが、目の前の現実を正視するためにも、その本質を知ることは有意義だと考えていますので、一部ですが掲載します。 「ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。」 「その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。 いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が占有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。 かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。」 (『朝日新聞』2020年4月3日「福岡伸一の動的平衡 ウイルスという存在」より抜粋) 川瀬敏郎 |
||||||
戻る |
あなただけの「花」を見つけよう |
戻る |
いけることで宿る、花の心。 心を一本の花に託してきた日本の自然。 この豊潤な自然は心をいかしてくれる人を求め続けている。 【花は、いのちのかたち】 日本で「ハナ」といえば、古くは桜をさしますが、ハナは桜ばかりではなく、バラやチューリップ、そして一見、花を咲かせない松も、私たちはごく自然にハナと呼んでいます。しかしそれは、ハナが単なる植物の花をさすだけではなく、その奥に息づく「花なるもの」を、ハナと言い表わしてきたからです。 花なるものとはズバリ「こころ」です。したがってハナとは「こころの言葉」の代名詞なのです。日本の花がフラワーを形態的にアレンジするものではなく、世界で唯一、「いける」という言葉を使ってまで言い表わそうとした花を生みだしたのも、花が日本人にとって「こころ」=「いのちのかたち」だったからです。 野を歩いていても自然は、心の声に満ち満ちています。何でもない道端の野の草に自己が投影され、花が自分自身の肖像画を描く。自然が単なるネイチャーではない証です。その自然をいけることで花に新たな心が宿り、その心が自然を豊潤にする。 「いける」ことは「生きる」ことです。人が生き続けなければならないように、花もいけ続けられて心の花となって生かされ、自然に帰っていく。その積み重ねを通じて、人と自然は輝きあうのです。 【日本人の分母は「自然」】 私が尊敬する折口信夫という国文学者は、日本の短歌がたった三十一文字で千数百年続いてきたのは、自然という共有できる背景があったからだと語っています。歌にしろ、花にしろ、茶にしろ、「日本のもの」というのは、常に自然という「共通の分母」の上に、「私という点」を形にしてきました。これは、ヨーロッパの、人間という分母の上に個の在り方を示してきたこととは対照的です。 かつて、川端康成がノーベル文学賞を受けたときに、「美しい日本の私」という講演をしました。これは結局自然という分母の中に、四季を通じて永遠に「美」としての「私という点」を打ち続けていく、その私が実は「日本の私」であるということです。四季が人間の一生を表わし、四季と共生していく中から美という独自の心の境地を生みだしていった。 その「美」というのは、ある種の「殺人者」だと、私は思っています。たとえば、茶席では初座を終えて、後座の席に初めて一輪だけ花が入るのですが、茶席のにじりロから見上げたときに、清らかな花が一輪、床の間の中心に打ち入れられている。それが心の真ん中に飛び込んできたとき、一輪の花でずぱっと心の扉が切り開かれ、死んだともわからないほどに殺される。殺されることが、美として生きたことになる。血も流さず、まるで何ごともなく、清らかなものを見たと思えてしまうほどの、刺し傷をひとつも残さない花、それが千利休が教えた詫び茶の湯の「一輪の花」なんです。 利休にはなれないけれども、心の扉を開く一輪の花をいけたいと思うなら、「花をならう」のではなく、「花にならう」こと。花をならうことは単にスタイルをならうだけで、それではその人の人生や品性を表わす花にはなりません。本来の「花をいける」ことが、江戸時代中期以降に生まれた流派いけばなと結びつき、「いける」が「いけばな」と同義語と化したことは、日本の花の不幸かもしれません。 だったら、極論かもしれないけれども、いい男とめぐり会って傷ついて、その体験から出てきたもののほうが、よっぽどあなたの花になると言いたい。自分の人生を一度も賭けたことのない人の花なんて、誰の心も揺さぶることないんですよ。大切なのは、あなたのオンリーワンの花を求めていくこと。決して美人ではないのに存在自体が美しい人や、何をしても不器用なのに魅力的な人はいっぱいいます。逆に、そつがなくてきれいだけれど、心をちっとも打たない人もいる。花も人と同じ。要は、人の心の扉を開かせる花か、そうではない花か、それだけのことです。 【心の数だけ花はある】 人間が花を見ているのと同じように、花も人間を見ています。春風にそよぐ芽吹きの柳を見ていると、ふと「この枝を切ってほしい」と柳のほうから呼びとめられたような気がして、心が柳に向かいます。しかし、実際に切るのかというと、それが生かされることのないものなら、私は切りません。花を切るという作業は本来、とても覚悟のいることです。そこに真実がなければ一本たりとも切ることは許されません。切ったものが新たな心を宿して、人を浄めたり喜ばせることがないのならば、文字どおり花を殺すことになります。 しかし切ることはまた、花にとってはまったく違うものと出会っていくことでもあります。花どうしの出会いもありますが、いけ手の中にある花の像を室内に持ち込むことで、器との出会いが生まれます。またどういう場所に飾るのかも大事なことになります。こうした出会いは、もとより花自身にはできないことです。出会いを基本とするいける行為が、ひるがえってその人の生き方の鑑になるのです。ですから、心の数だけ花はあるのです。 花をいけることは、その人自身であると同時に、その人の心の証を大地に刻み続けていく行為そのものです。今よりもっと自分らしい花をいけたいとおもうなら、自分が裸になって、自然と真正面からぶつかることです。心を一本の花に託してきたこの国の自然は、古代よりこの方、心をいかしてくれる人を求め続けている。今なお自然はいける人の手を待っているのです。あなたの手を待っているのです。 |
戻る |
Copyright(C)川瀬敏郎事務所 All rights reserved. |